2005年09月18日
白髭神社
「しらひげ」と読みます。
神社です。
白髭神社は、能古島の産土神(うぶすながみ=生まれた土地の守り神。近世以後、氏神・鎮守の神と同じ意味になる。)で、祭神は住吉大神(すみよしのおおかみ)、神巧皇后(じんぐうこうごう)、志賀明神などです。
能古島という地名には、「神巧皇后が住吉の神霊を留めたのが白髭神社だといわれています。
境内には「力石」という2個の丸い石があり、昔は若者がこの石で力試しをしました。
そのほかにも、廻船(かいせん)業者により寄進された元禄2年(1689)念の古い鳥居などが残っています。
また、毎年10月9日に行われる「おくんち」は、福岡市の無形文化財に指定されています。
2005年08月27日
也良崎万葉歌碑
沖つ鳥 鴨とふ船の 帰り来ば
也良の防人 早く告げこそ
万葉集
万葉の時代、北部九州には国を守るために遠く関東から派遣された防人(さきもり)が置かれていました。
ここ也良崎(やらさき)は、防人が置かれていたことが確定されている全国唯一の場所です。
万葉集には、この防人を詠んだ歌が多く載せられています。
この歌は「筑前国(つくしのみちのくに)の志賀の白水郎(しかのあま)の歌十首」の中の一首で、山上憶良(やまのうえのおくら)の作とも言われています。
「也良の防人よ、私の夫の荒雄(あらお)の船が無事に帰ってきたならば、早く教えて下さい」と船出して帰らぬ人となった夫を恋い慕う妻子の悲しみが詠まれています。
万葉集:現在残っている最も古い歌集で、20巻あります。仁徳天皇皇后の歌といわれるものから淳仁天皇時代の歌(759年)までの約350年間の長歌・短歌・旋頭歌・仏足石歌体歌・連歌、合わせて約4,500首と漢文の詩・書翰(しょかん)などです。東歌・防人歌などがあります。
(西区役所)
投稿者 shinyayamada : 23:11 | コメント (0)
鹿垣
能古島は、江戸時代、福岡藩の鹿の狩場であり、最盛期には600頭をこえる鹿がいました。
その鹿が田畑の作物を荒らすため、天保7(1836)年、約2kmにわたる石垣が、島を東西に横断して作られました。この石垣を鹿垣といいます。
この鹿垣は、海を渡ってくる鹿を防ぐために、海の中まで延びていました。
鹿は終戦後に全滅しましたが、鹿垣は今でも一部が残っています。
これだけの規模で残っているのは全国的に見ても珍しいことです。
また、島の中央部には「古土手(ふるどて)」と呼ばれる石塁(せきるい)が残っていますが、これは牛や馬を放牧していたときの名残ともいわれています。
(西区役所)